世の中の多くの出来事は、「他人との比較」で成り立っています。
子供の頃からテストの点数で比較され、
社会人になっても他人と比較、
子育てをしていても、自分は他の人と比べてどれくらいできているのか、ちゃんとできてないんじゃないか、と比較をして自分を判断します。
「比較をされる」という響きは、ほとんどの人にとってネガティブな印象を与えるんじゃないかと思います。
それは、ほとんどの人が、比較されること=優劣をつけられること だと薄々気がついているからです。
自分が人よりも優れていると自覚できているときはいいのですが、劣っていると思うと苦しくなってしまう。
そんな苦しさから、評価されたい一心で頑張った結果、心のエネルギーが枯渇して、うつになる人がいます。
こういう人というのは、比較をしてしまうことで自分自身に優劣をつけて、自分の首を絞めている状態です。他の人を見なければいいのに、どうしても他の人と自分を比べてしまう…そういう人は結構多いはずです。
では、なぜ人は比較をしてしまうのでしょう。
それは、元となる基準を、社会が作り出しているからです。
平均点とか、標準点とか、「普通は…」とか「年相応」とか。
そのような軸にとらわれているから、自分は平均よりも優れているのか、劣っているのかと比較してしまうようになるんです。
学校教育でも、ほとんどの公立は絶対評価ではなく、相対評価ですよね。自分が100点を取ろうと、他の生徒も100点を取っていれば、褒められないこともあるわけです。
社会が作った基準を使って自分のポジションを判断することは、いわば、他人の評価でしか自分を判断できない、というのと同じです。
アドラー心理学では、「人間の悩みは、すべて人間関係の悩みである」と言いきっています。
他人の評価を気にするから悩むのであって、自分の中に確固たる軸を持っていれば、悩む必要なんてない、というような意味です。
子供のころは、他人の目を気にするよりも、「自分のしたいことをする」という生活をしていたはずです。
ただ、いつの頃からか、自分のやりたいことを親に反対され、教師に反対され、上司に反対され、
自分というものを殺して生きている人の方が圧倒的多数です。
自分を殺して生きてしまった人がどうなるかというと、
全ての行動が「他人からどう見えるか」とか、「どう評価されるか」という他人ありきのものになっているので、
今度、他人の目を気にしないで自分の道を行くんだ!と考えてみても
「自分のやりたいことってなんだ?」って考えても思い浮かばない状態になってしまいます。
自分のやりたいことをやって生きる
そうすることが、心地いいと感じるか、そうでないかは、人それぞれ違います。
比較が全て悪いことだとは思いません。差異を知って認識することは、成長にも繋がります。
ただ、自分の価値は自分で決めることができれば、悩みは格段に少なくなるだろうなあ…と思っています。